↑大阪に降った雪でっせ(約40年前)

こちょうのゆめ Vol.1 「あこがれの関西」

こちょうは、大阪生まれである。幼稚園を出て新幹線に乗るまでは、「いたずらっ子」ではなく「やんちゃぼうず」であった。赤ん坊の頃、家は本屋をしていたそうだが、その当時の記憶はない。昭和三十年代の記憶といえば、その頃道路を走り始めたオート三輪である。[オート三輪というのは、軽トラの前輪が真ん中に一個しかないやつだ。上から見るとフロントが三角で、考えてみればウルトラマンの顔にも似ていたが、ウルトラマンがTVに登場するのは、そのずっと後のことである。]近所には年上の悪餓鬼がいて、勇気を試すための遊びをこちょうにやらせた。家の前には表通りから折れて入る道があったが、それでもセンターラインもあるかなり幅のある道路で、時々オート三輪が通っていた。その道の真ん中に寝転んでいろと。やがて車が来る。車が接近してもどの程度まで逃げずにいられるかで勇気の有る無しがわかる。早く逃げた、勇気がないといっては頭をどつく嫌な奴だった。従ってその悪餓鬼の名前は覚えていない。

東京の小学校に上がるといきなり「×」のことを関西読みで「ぺけ」と読んだらクラス全員に笑われた。このときから東西の言葉の違いを極端に恐れるようになり、こちょうは二〜三ヶ月で関西弁を脱して標準語に切り替えた。おかげで関東の人が聞いていれば、こちょうの話す言葉からこいつは関西生まれだと気付くことは稀であろう。こちょう自身からしてみれば、話の持ってゆき方や「さ」行の発音、臆面もなくものの値段を口にするところなどは、まぎれもなく関西風なのであった。そうであるはずだとこちょう自身が思い込んでいただけかも知れないが。高校を出るまでに身辺に関西出身者は皆無だった(と思っていた。20年経って、かくれ関西がいくらかいたことが判明した。皆、関西者であることを気付かれまいとしていたのだ)。大学ではちらほら出会ったが、「こんな辛気臭いとこ(関西)にいてられるか」とばかりに関西の大学を蹴って東京に来るような連中は、典型的関西人とはいえまい。

 こちょうが憧れるのは、おいしいお好み焼きやタコ焼きといった物質面ではない。うどんや蕎麦は、むしろ関東風の方が好きである。それよりも精神的な問題として、関西の空気の中で生きていればどうなるのか、やってみたいと思っていた。この思いはちょうど「英語圏で生活してゆけるのかどうか」「自分の野球は大リーグに通用するか」というチャレンジ精神に通じよう。ともあれ、その夢はいまだに叶っていないし、無理に叶えようともしていない。ふるさとと呼べるほどの深い記憶もないのだが、それだけに不思議に心が引かれるのである。

 カリフォルニア生まれの子供たちが、四〜五歳で日本に帰ったら、これと似た郷愁を将来カリフォルニアに感じるかも知れない。それがカリフォルニアってものかも知れないな。

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