↑12/12/2002反省会

「私は三郎である」

私は土田三郎である。だいぶ前に、グリークラブの不良中年ワルガキ隊の連中と酒を飲んでいる時に、桑島大隊長から、自己紹介をヤレとの指令があった。その時は命令に服すために「御意!」と即答したが、ナンダカンダと言っているうちに今日になった。昭和18年11月3日、戦前の天長節に連なる明治節の日に生まれたこの身であるが、時間がナントモ早く過ぎ去っている。しかし、脳みその働きは完全にその逆で、大河の流れの如く悠々としている。きのう、おとといの食事内容をナカナカ思い出せない。グリーで新しい曲を覚えるのに昔のナン倍もの時間がかかる。逆に、子供の頃、お腹が空いてお店の洋ナシを盗んだのを見られて店の人に優しくいなされ、2度とその店の前を通ることが怖くなったり、学生時代の安保粉砕デモで検挙寸前で逃亡したりしたことは、走馬灯の如く鮮明に記憶しているし、歴史に出てくる天長節も紀元節も知っているのだけれど、昨日のことが思い出せない。ナゼダ!

さて、三郎という名前は、苦難、苦闘の果てに酒乱に陥った親父が命名した。親父の酒乱は、外で朝から酒を飲んで、夜に我家に戻って暴れるという悲惨なものであったが、それが毎日続いた。子供心に、「オレは親父の子供だから、酒を飲むだろうけれども、親父みたいな酒乱にはなりたくない」と、心に決めていた。小学校23年の頃と記憶する。さて、その名前も三男坊だから三郎である。簡単で誤解がない。ちなみに長男は美智雄、次男は斗一、弟は志郎である。三郎よりも遥かにカッコウイイ名前だ。姉達も皆がとても美しい名前を頂いているのだから、どうして自分だけがという疑念が脳裏をかすめる。このために今までもヒガミ根性が抜けきっていない。どうして親父は、チョット酒を飲むことを止めて、この光溢れる三男の誕生に際してしばし熟考し、玉という字を三郎の頭に付けて命名して下さらなかったのであろうか。そうすれば我人生は、「ISSだ、通訳翻訳だ、コミュニケーターの養成だ、人材開発だ、日米間の懸け橋だ」等とお固い事など云わず、今頃はウッフンフンのフンで、下町では超売れっ子になっているはずである。人の名前は体を表すということは古今東西からの常識である。世の平和のために、子に名前をつけるときは酒を飲むことを禁止する条例を制定すべきであると思う。今度、外務省のホームページにこのことを投稿しようと思っている。

そんな下町の夢と希望を抱きながら三郎は、毎週木曜日のLA Men's Glee Clubの練習に人生の活路を求めている迷バリトンである。迷っている分だけ、オタマジャクシの位置が判らず、どこで声を出すかも判らず、迷路にはまる。カラオケを歌う時は半音狂っていても狂い続けておればそれで自分を正当化し、納得もできた。出始めが合わずとも適当に調整ができる程度の高等技術は持っていた。けれどもこのグリーでは誤魔化しが効かず、すぐにバレてしまう。エライところに飛び込んだものだと思う。考えてみれば、

昨年11月のTorranceFaith U.M.Churchでの男性合唱の発表会を聴きに行って感動し、これなら俺にもできるワイ、と自惚れたのが、この迷いの元凶である。それも深刻なオチコボレの迷いである。このために、毎日車を運転する時は、今までのニュース番組を聴く方針を変更し、偉大なる我等の指導者、美代子大師匠の美声のテープにすぐに没頭し、酔いしれることになる。これでさらに迷いが増える。オレはどうしてこのように美しく上手に歌えないのであろうか、と。先日、大師匠に、「お腹から上手に声を出す方法がわからないんですけどー」と、オズオズ聴きに行ったら、「それはアタリマエダ、練習しなさい」と言わんばかりのご尊顔であられたので、しかたなくシブシブ引き下がった。でも、キット、何処かに魔法の杖があるはずだ。デモ、どこにあるか判らない。迷いは深まるばかりである。しかし、迷いがあるから立派な人間なんだと、何処かに書いてあったことを思い出した。そして、そんな迷い人を助けてくださる方々がこのグリークラブにキットいらっしゃる。それまでは苦しくても辛抱しよう。これは大自然からの警告なのだ。

三郎は、美しい山と川に恵まれた庄内平野を一望できる鳥海山の麓の、山形県酒田市、大字生石(おいし)、字矢流川(やなれがわ)の農家で11人家族の中に育った。酒田は、「鳥海山、最上川、寿司屋向けの庄内米、美味しい日本酒、善政を行った9代藩主酒井忠徳(ただあり)と、本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に、で有名な財政の改革に私財を投げ打った商人本間光丘、今でも機能してい山居倉庫、庄内おばこ、おしんの故郷」等で知られている。(あの加藤議員もおらが庄内の出身である。)

子供の頃は戦争のために食料事情が極端に悪く、重労働をしている家族のために、近くの川で魚やカニを取ったり(斗一兄はカニとりの名人だった)、田んぼでイナゴを捕まえたり、コワイ蛇が出てくる山に行って山菜を摘んだりして、貧しかった我家の食料を皆でナントカ確保していた記憶がある。母親の話しでは、幼児の三郎は、栄養失調で毎日お腹を空かして泣いていたという。戦時中で、米は全て供出させられ、当時の家族10人分の食料は、飼料のクズ米と山の葉っぱだけであったためにオッパイが出なかったそうな。だから、三郎は発育不良で兄弟の中で一番のチビであった。学校では何時でも前から1番か2番目で、そのことがハズカシカッタ。だから、おいしいものを食べて、背を伸ばし、せめてもう少し後の方に並びたいなあ、と、いつも思っていた。玉三郎になれない理由はここにある。

田舎は親戚付き合いが多いから、必然的に法事が多く、割りと頻繁にお坊さんがお経を上げるためにやって来る。法事では子供も正座してお勤めをするのが慣例であった。お化けが怖くて夜一人でオシッコに行けない三郎であったが(田舎の夜は暗くて本当に便所はコワイノダ!)、読経を聴くのは大好きであった。特に、2人か3人ものお坊さんが和唱する読経の声が天から聞こえて来ると、発育不良で運動が不得意な身体にはとても安らかで心地よく響いた。そして、チーンとかコーンというカネの音も、天からの読経の声に大変に良くマッチして音楽のように聞こえた。木魚のポクポクポクという音もどこか心地良い。お坊さんの袈裟もきらびやかでまばゆく、我家の衣類では見たことがない神秘なものだ。そんな訳で、身体の 弱い三郎はヒマがあると、仏壇の前で座布団に座り、風呂敷を袈裟の代わりにして、チーンと鳴らして、読経をし、お坊さんの真似をしていた。三郎はどこにいったんだろう、と姉達が探すと、必ず仏壇の前で、お坊さんのマネをして読経していたという。「チーン、ナミアミダブツ、チーン。」この和音の素晴らしさに一人で神妙な気持ちになっていたらしい。この三郎がグリーの唱を嫌いなはずがない。

また、小学校から中学校時代には、田植えや稲刈りには一家総出で学校を休んでも手助けを強要させられた。これをナントカ回避すべく、学校の宿題が難しくて大変に忙しいフリをしていたものだ。三郎は言い訳を言うのがウマイよ、と兄弟の皆が呆れていたことを覚えている。この方面の頭脳の活動は兄弟の中でも特に活発であったようだ。また酒乱の親父は、酒を飲んでいない時に、義務教育である中学まではナントカ学校に行かせてやるが、高校以上は自分の力でいけないならば丁稚奉公をさせることを、何度も三郎に伝えていた。つまり、15歳までは実家に居ても良いが、それ以降は家を出て自活せよ、との食い扶持減らし作戦の指令である。親父の言う事は、これがオレの親か、鬼のような親だ、と憎らしく聞いていた。しかし、確かに米びつを見ても、農家なのに米があまり残っていない。学生服も兄貴のお下がりで、あちこちをツギハギをしているから、片思いの彼女の前にでるのがハズカシイ。また兄も姉も誰も、高校には行ってない。そんな状況で、必然的に子供心にも独立意識が芽生え、自分でナントカしなければと考えていた。だから、ラジオから聞こえてくる日本以外の国の話は、特別に真剣に聴いていた。ペドロとか、マホバとか、アラビアいう名前も異国を想像するとても興味あるコトバであった。小学生の時には、中学生の兄貴が習っているイングリッシュというものを自分も早く習いたいなあ、と思っていた。実家を出なければならないことの意識が、狭い日本に拘らずに生きてみたいとの意識に変化していたようである。この点では反面教師としての親父に感謝しなければならない、と思っている。その後、当地の一流高校の受験をパスしたが、ありがたいことに兄や姉達の協力で三郎の学費を支援してくれることになった。親父もシブシブ同意したようである。これで丁稚奉公は回避である。持つべきものは兄弟姉妹である。そして、皆が寝静まってから、雑音の多い古いラジオで、「百万人の英語」を聴くことを毎晩楽しみにしていた。ひげの五十嵐先生が特に好きであった。

そして、18歳のあどけない顔で実家を離れて上京し、自立生活の青春時代へと移行していく。

ここまでの経緯がその後の、旭化成技術研究所への就職から東京農大進学、デンマークのIPCカレッジとイギリスのコルチェスターカレッジへの留学に連なり、そして、イギリスのソーシャルワーカーとしての就労から、通訳、翻訳業務の老舗、ISS Inc.のイギリス駐在員へと継承されていく。そして、アメリカ大好き人間の久子と一緒になってしまい、今この地に来て13年目、アメリカ市民権の取得を準備している。小学5年生でこの地に来た当時は毎日泣いていた娘の紋子も、今は一人前である。後はグリーの皆さんに、この三郎の迷いを救って頂く事を望むだけである。皆さん、救いの手を。

 土田三郎 2002年5月27日(月)メモリアル・ホリデイ

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